書斎,宇宙の果て,宇宙の外側,死後の世界,空想科学小説,想像力,創造力,論理的思考法 空想物語(2)死後の世界は?

死後の世界はないし幽霊もいない~でも見たことあります!

「死後の世界があるか、ないか?」という問いかけに、私は即座に「ない」と答えます。天国という場所のように「亡くなった人が暮らす世界」があると考えている人はいるかもしれませんが、私は「ない」という前提でこのストーリーを展開していきます。少なくとも誰も行って帰ってきた人がいないのだから、天国がある、地獄もある、という方たちはそう考えれば良いのであって、「ある」「ない」で言い争いをする必要もありません。宇宙の果てと同じで、誰も答えを知らないのです。科学では解明できないこともまだまだある、そのうちの1つということでしょう。

 

〇永遠の別れに心を砕かれるのは家族(身内)だから以外に何もない!
私は、部屋の中にごきぶりを1匹でも見つけようものなら殺虫剤を持って徹底的に追いかけます。存在そのものが許せないのです。しかし、ごきぶりにも命があります。生物学的に言うと、オスとメスがいて卵が孵化して大きくなっていることは違いありません。私と同じように親のおかげで命をもらい、無事、何十年も生きてきました。少なくとも、殺虫剤で追われる経験はしなくてすんだだけ幸せでしょう。
「ひとの命は地球よりも重い」という言葉があります。学校でよく先生たちが口にします。しかし、もし先生たちが自分の子どもを事故や病気で亡くしていたとしたら、そういう言い方はしないと思います。ましてや、いじめで自殺でもしていたなら、「ひとの命は地球よりも重い」というわかりきったことは口にしません。
その理由は簡単です。もし子どもさんが亡くなっていたなら、それはもう戻ってこないからなんです。戻ってこない子どもにいくら「地球より重い」といったところで、決して目の前に復活することはないのです。だから「なぜ?助けてやれなかったのか」という子どもに対する後悔の言葉以外に、子どもに向き合う言葉はないのです。先生にとっては、学校の児童が亡くなっても所詮、他人の子どもです。どうでも良いのです。ただ、行政的に「自分に向けられる責任」と「その死にいたった事件を繰り返したくない」という保身だけです。


これは、先生に限ったことではなくだれでも同じでしょう。
葬儀会場で、亡くなった故人の身内はみな悲しみに打ちひしがれています。しかし、葬儀に参列した人たちは一見、深刻そうな顔をしながらトイレに入ると同僚と笑い合っています。人間とは、そんなものです。
家族とともに暮らした時間がなければ、誰の死も悲しいと思わないでしょう。有名人が亡くなると葬儀に行列ができていたりしますが、「悲しい」という気持ちは心のよりどころとしていたからに違いありません。家族以上に、心の支えの一部となっていたからでしょう。生活した時間、心を寄せていた時間を通してその存在が残された人の心の中で占める大きさによって、もう決して二度と会えない存在に対する思いが悲しみとなって体全体を覆ってしまうものなのです。
だから、家族の中ではずっと故人の記憶が何かにつけて思い出され、何年もその悲しみが癒えることなく続きます。


〇死んだらどうなる?これが死後の世界~身も蓋もないことですが・・・

 

・盆に帰ってくる風習は思考の普遍性から導き出された死後の世界観
では、亡くなった本人は一体どうなるのでしょうか。答えは、本人はもう存在しないので、何も考えていないということです。すべては、生き残った、残された人たちの個々の記憶や想像によってその時々の思い出や生き様、笑顔が思い出されるだけです。
キツイ言い方をすれば、仏壇にある笑顔の写真に向かって、どうしようもない思いを抱きながら暮らす日々が始まったというだけのことです。お盆に亡くなった人たちが帰ってくるというのは、絶対に帰ってこない事を知っているから、せめてある決まった日時に帰ってきてほしいと願って、そういう風習が確立していったということなのでしょう。もちろん、私は風俗史の専門家ではありませんから詳しいことはわかりませんが、人間として身内の死を受け入れることが到底できないということはいつの時代も普遍的なことでしょう。


動物のなかにも、子どもが亡くなると悲しい表情やしぐさを見せるものもあるようですが、盆という日時を決めて弔いや供養をする動物はいないはずです。
実は、何もない存在に対して、残された者たちが記憶を重ねながら死者と向き合う、それが死後の世界です。身も蓋もないことですが、これが現実です。
台風や大雨、地震、また事故などだれがいつ死ぬかまったくわかりません。突然、病気で倒れことだってまったくないわけではありません。交通事故だと自分が注意したり、あるいは危険だと感じたらスピードを緩める、あるいは自転車に乗っていて高齢ドライバーにはねられる危険があるとするなら自転車道を走ります。常に基本に忠実な行動と、リスク管理をしていれば、少しは死を避けられるかもしれません。しかし、これもどちらも経験するわけではなく、事故の加害者に偶然出くわしてしまったから亡くなったわけで、もし「搭乗しなければ」という結果論は意味がありません。

 

・個々の身内が固有に抱く死者とのつながりが死後の世界
死とは、自分が死ねばそれまで。ただ、残された家族が悲しみを何年も引きずって生きていくことになる。それが、死後の世界です。前述した先生の話に置き換えると、「命は地球より重い」のではなく、「残された人たちの悲しみ」に寄り添えるかどうかが、力量ということになるはずです。もし、子どもを亡くした先生がいたら、「みんなで亡くなった人の家族に寄り添おう」というでしょう。だって、自分で戻せもしない時間に他の児童生徒の気持ちを誘導してただ忘却を待つことは何の意味もなく、教育的な意味がないのです。
いじめっ子が、亡くなった児童の親の悲しみを見て初めて、その罪の重さに気づくのです。罰則も必要ですが、その前に「親や兄弟がどんなに悲しい気持ちになるのか」を見せて、自分の親も同じ気持ちになるのだと思うようになれば、これが「おもいやり」です。
まあ、学校というところは「おもいやりを持ちましょう」とコトバのスローガンだけの世界ですから、それは無理なことでしょう。


死後の世界とは、コトバや科学で定義することのできない「記憶と体験と気持ち」が重なったところに、それぞれの身内だけの空間で存在する世界だと言って良いでしょう。どの家族も同じ死後の世界を見ているわけではないのです。
ただ、人間は普遍的な定義を試みる動物ですから、「天国と地獄」のように集約した言葉になってのでしょう。昔の人の思考ですから、科学的な根拠は存在しません。ただ、思考の到達点「普遍性」が答えなのです。それで、良いのです。

 

 

〇幽霊はいるの?
さて、死者は物体もないし精神も存在しない、また死後の世界もないということになると、幽霊はいるのでしょうか?という問いかけに「いない」と答えるのが普通でしょう。よく落ち武者が行列を作っているとか、霊の通り道になっているとか、見てきたようなことを言う人がいます。霊能力者がインチキだとは言いませんが、かつてテレビで大きな影響力を持っていた儀保愛子さんが亡くなりましたが、テレビ局の人たちに挨拶に来ているという話は一切聞きません。
しかし、私は幽霊らしきモノを見た経験もあり、まったくその存在を言う人たちをインチキだとは思っていません。むしろ、心の中にある潜在的な恐怖心を「霊の仕業」ということにする霊感商法とは違って、様々な苦労や苦悩が重なってある固定観念に追い込まれたひとを救う役割を果たすなら、それはすばらしいことだと思っています。まあ「いつもあなたを見守っていますよ」といえば、誰でも涙を流して喜ぶものです。

 

・亡くなった息子は一度も幽霊になって戻ってくれない
幽霊がいるのなら、私の亡くなった息子も戻ってきてくれるでしょう。しかし、10年近く経過しましたが一度もそれらしい姿を見せてくれることはありません。記憶と重ねてイメージすると、偶然「パン」という音がすることはありますが、それが幽霊だというのはちょっと無理があります。幽霊というのは昔から、それらしい人間の姿をしているのですから。じゃない、自分の心の中の精神的な作用で何か物理的な現象が起きるかといえば、それは否定しません。人間の未知なるチカラは、科学的に証明することはまだできていないようですから。
さて、幽霊といえばぼんやりと見えるというのが昔から一般的でした。最近、ユーチューブで話題になった恐怖映像を見ていると、本当に面白いです。だって、カメラアングルが幽霊が入り込むようにきちんと設定されているのですから。また、部屋を映していたら一瞬写ったというのもあります。これは、光や何かによって写りこむことになった白い物体の可能性が高いと思います。人間は、ヒトの顔の形を認識するように脳ができているらしいのです。だから、人面魚もあるし、緑の木々の間に顔が出てきたりします。奇岩もそうです。

 

・私が見た5つの幽霊(体験)
最初は、高校生の時です。道路建設現場となったため墓がすぐ近くに移されたというので、お盆に友人と工事現場の道路上にゴザを敷いて待っていました。町内の盆踊りがあったのでお盆です。
盆踊りも終わり深夜零時頃になると、突然、墓地に光が落ちてきました。当時は幽霊をなんとなく信じていたので、怖くなって帰ることにしました。自宅まで1キロぐらいあったのですが、自宅近くまで戻ると自宅の上を火の玉がぐるぐる回っていました。さすがに、これにはびっくり仰天。怖くなって、黙って家に入りだれにも言わずにずっと過ごしました。

 

就職して寮暮らしをしていたのですが、ある夏、強烈な金縛りに遭い身動きできなくなってしまいました。目を開けると怖いので体を静かに動かして体制を整え、パッと起き上がったのです。そこに幽霊の姿はありませんでしたが、同じ部屋に寝ていた同僚が「足にまとわりついてきた」と話したので、同じ場所でまったく違う人間が同じ経験をしたことになります。

 

これは第六感のような体験ですが、離れた場所に住んでいたゆかりの祖母が亡くなる前の夜、ふすまの取っ手部分に一瞬顔が浮かびました。「あっ、おばあさん」と叫んでそのまま寝たのですが、翌朝、電話が入り「亡くなった」という知らせが届きました。幽霊の話に入れてはかわいそうな話ですが、そんな体験もあります。
同じようなことは何度かあって、何度か幽霊らしき物体を見たこともあると思うのですが、もう忘れてしまいました。というように、「でたー!」という感じの幽霊とは出くわしていないんですね。

 

最後に、幽霊の写真ですが、これは私も経験があります。あるお祈りをしてくれる場所に行ったときに、これは「写るかもしれない」と写真を撮ったら、本当に「光のようなもの」がいっぱい写っていました。

 

また、お寺に行き「ここは写る」と思って写真を撮ったときも「光のようなもの」がいっぱい。
う~~~ん、こればかりは分かりませんね。自分の心の念がそういうものを写し出したのか、私はそちらの方が正しいのではないかと思いますが、誰も答えを知らない世界です。

 


〇結論~死後の世界も幽霊もいないけど何かが見えるときがある!
どうも歯切れの悪い結論になってしまいましたが、物理的な死後の世界は存在しませんし、落ち武者が歩くようなはっきりとした幽霊も存在しません。幽霊が存在するなら、いったい何年前の幽霊が表れるというのでしょうか。戦国時代に落ち武者がいたという誰も見たことがないけれども情報から想像できる幽霊は出てきますし、死に装束と同じ白い着物を着た幽霊は出てきますが、私たちがいろいろ見たり聞いたりする情報をまったく超えた幽霊は出てきません。出てきていたとしても、気づかないのかもしれません。


たとえば、ヒトの後ろについて歩いている幽霊なんて、普通は見ません。背後霊などという霊とも守護霊ともわからない話もありますが、誰もが仕事や生き様を通して見た目以上の大きなオーラを持っています。子どもだと思っても、しっかりと向き合って話をすれば徒競走で学校一番だったり、優れた能力を持っています。そういった能力を情報として合わせてみると、一個体として大きな存在に見えるものです。
その物体としての人間を包むオーラみたいなものが、実は亡くなった身内の意思を継いで身につけたものであれば、それが見る気にならなければ決して見えない幽霊なのかもしれません。
そういう見えない価値を見い出そうとするなら、守護霊ということも理解できます。
これは、あくまでも恐ろしくない幽霊の話です。
恐ろしい幽霊は、私はいないと思います。その証拠は、私の亡くなった子どもは一度も出てきてくれません。そして、恐ろしい幽霊はヒトの心の弱さや恐怖心から「何かが見えたので幽霊だ」と置き換えられているのでしょう。でなければ、はっきりと目に見えるはずなんですが、そういう話は聞きません。
写真の幽霊は、わかりませんね。あるような、ないような。テレビで放映されたものでも「偽もの」と指摘される写真もあります。足が多いとか、はっきりとした写真なのにおかしいの
は、意図的な写真か、偶然かどちらかでしょう。

墓じまいとは?

情報編集力の鍛え方

セルフコーチングメソッド

カートに入れる

支払い方法
領収書について

お支払い方法により異なります。

詳しくは「支払い方法について」

配送
配送料について
配送料は一回のご注文につき、一律540円となっております。
ご注文合計金額が税込8,000円以上の場合および送料無料商品を含む場合は、送料無料でお届けいたします。
ただし、沖縄、離島など一部の地域は別途送料が必要となる場合があります。
その際は、ご注文確認画面に注意書きが表示されます。
※一部直送商品はご注文後にメールで連絡させていただく場合がございます。
>> 詳しくは「配送について」

ご自身の得意を求める人がいる

支払い方法について

領収書について

お支払い方法により異なります。

詳しくは「支払い方法について」をご覧ください。

配送について

配送料について
配送料は一回のご注文につき、一律540円となっております。ご注文商品代金8,000円以上、および送料無料商品を含む場合は、株式会社もしもが送料を負担いたします。
ただし、沖縄、離島など一部の地域は別途送料が必要となる場合があります。その際は、ご注文確認画面に注意書きが表示されます。
※一部直送商品はご注文後にメールで連絡させていただく場合がございます。
配送業者について
商品の配送は、佐川急便に委託しております。一部の直送商品につきましてはヤマト運輸等、他の配送業者がお届けする場合がございます。
商品は「株式会社もしも」名義でのお届けとなります。一部の直送商品につきましては、「株式会社もしも」名義ではなく、卸業者名、メーカー名になっている場合がございます。あらかじめご了承ください。
配送業者の都合上、お届けができない地域がございます。その際はご注文をキャンセルさせていただきますのでご了承ください。
※ただいま海外への出荷は承っておりません。
出荷目安について
出荷目安はご注文から出荷手配が完了するまでの期間となります。こちらは、土日祝日や年末年始、お盆休みを含まない営業日で計算しております。
※出荷目安が「即日出荷」の商品は、平日・土曜日の15:00まで(一部商品は平日14時、又は平日15時まで)の注文分を当日中に出荷いたします。日曜・祝日・年末年始・お盆の場合は翌営業日に出荷いたします。